論文詳細
人文学部
#紀要論文
Kimura Ihei and Images of the Body in the Japanese Visual Culture of the 1950s
- AI解説:
- 本論文は、木村伊兵衛(1901–74)が日本国内では数十年にわたり例外的な人気と影響力を保ってきた一方で、国外ではそれほど継続的に論じられてこなかったという逆説を扱う。焦点を当てるのは、木村が日本の写真界における地位を固めた1950年代の写真であり、彼の人体表象が戦後日本のより広い視覚文化とどのように関わっていたかを検討する。著者は、1950年代の視覚メディアに見られたより大きな対比の中に分析を位置づける。すなわち、一方では、戦後の芸術家や一部の写真家が、日本の敗戦後の社会的荒廃に応答して暗く、しばしば悲観的な表象を生み出し、他方では、大量流通メディアがしばしば美化されたイメージを提示して現実逃避を可能にしていた。写真は「高級芸術」と大衆文化の間にある曖昧な位置を占めていたため(ピエール・ブルデューによる、写真を「中間的な芸術(a middle-brow art)」とする考えを参照しつつ)、本論文は、いかにも平凡に見えるイメージであっても身体表象がどのようにイデオロギー的意味を担いうるかを検討する上で、木村作品が生産的な対象であると論じる。中心的主張は、木村の戦後作品、とりわけ1954年の写真集『木村伊兵衛傑作写真集(*Kimura ihei kessaku shashinshū*)』によって形づくられた作品が、同時代絵画に見られる歪んだ身体や、大衆映画における性的に強調された身体とは対照的な、女性の身体に関する保守的な描写によって特徴づけられる、という点である。
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人文学部
#紀要論文
Kimura Ihei and Images of the Body in the Japanese Visual Culture of the 1950s
AI解説
- 背景と目的:
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本論文は、木村伊兵衛(1901–74)が日本国内では数十年にわたり例外的な人気と影響力を保ってきた一方で、国外ではそれほど継続的に論じられてこなかったという逆説を扱う。焦点を当てるのは、木村が日本の写真界における地位を固めた1950年代の写真であり、彼の人体表象が戦後日本のより広い視覚文化とどのように関わっていたかを検討する。著者は、1950年代の視覚メディアに見られたより大きな対比の中に分析を位置づける。すなわち、一方では、戦後の芸術家や一部の写真家が、日本の敗戦後の社会的荒廃に応答して暗く、しばしば悲観的な表象を生み出し、他方では、大量流通メディアがしばしば美化されたイメージを提示して現実逃避を可能にしていた。写真は「高級芸術」と大衆文化の間にある曖昧な位置を占めていたため(ピエール・ブルデューによる、写真を「中間的な芸術(a middle-brow art)」とする考えを参照しつつ)、本論文は、いかにも平凡に見えるイメージであっても身体表象がどのようにイデオロギー的意味を担いうるかを検討する上で、木村作品が生産的な対象であると論じる。中心的主張は、木村の戦後作品、とりわけ1954年の写真集『木村伊兵衛傑作写真集(*Kimura ihei kessaku shashinshū*)』によって形づくられた作品が、同時代絵画に見られる歪んだ身体や、大衆映画における性的に強調された身体とは対照的な、女性の身体に関する保守的な描写によって特徴づけられる、という点である。
- 主要な発見:
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主要な発見の一つは、『傑作写真集』—1930年代初頭からの写真132点を選んだ1954年のセレクション—が、単なる作品集ではなく、木村の作品全体(oeuvre)と公的な人格(public persona)を定義する仕組みとして機能していることである。同書は、人間(俳優、公人、無名の人々)を前面に出す一方で、緩やかな年代順を超える強い概念的配列は欠き、鑑賞者が各写真を自律した一作品として扱うよう促す。木村はアンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)を敬愛し、同様の写真集フォーマットを採用したが、本論文は、木村のイメージは強い感情の表出という点ではより抑制的であり、顔の表情は怒りや悲嘆、露骨な喜びではなく曖昧さを示すことが多いと論じる。この抑制は歴史的に重要である。というのも、木村は戦時中の宣伝写真に深く関わっており、そこではしばしば演出された楽観主義(笑う子どもや英雄的な兵士の身体)に依拠していたからである。著者は、戦後の木村を政治的に中立な存在として扱うことはできないと主張する。明示的なプロパガンダがなくても、彼の写真は戦後の信念体系や文化的価値を伝達しうるからである。
当時のより広い「二極化した(bipolar)」身体イメージ—傷つき、切断され、あるいはグロテスクな身体を描くアヴァンギャルド絵画と、解放された/性的に強調された女性(例:「バンブ(banpu)」「パンパン(panpan)」)と貞淑な女性理想の間を揺れ動く大衆メディア—と比べると、木村の仕事は著しく保守的に見える。ヌードやエロティックな内容は周縁的である。ストリップショーの写真は登場するが、ヌードへの美的コミットメントというより、小さな記録的要素にとどまる。対照的に、多くの農村女性(とくに秋田)は、身体や顔を布で覆った姿で示され、著者はこれを、貞淑さと「アメリカニズムの兆しがない」伝統的生活を意味するものとして、また木村が距離を置いた傍観者(detached onlooker)としての立場を補強するものとして解釈する。さらに本論文は、木村のスナップ的で、しばしば同意を得ていないストリート写真が、覗き見的性格を避け共犯性(complicity)の感覚を育てる傾向があったフランスの「ヒューマニスト写真(humanist photography)」(例:ロベール・ドアノー(Robert Doisneau))とは異なることを見いだす。木村の構図戦略は、ときに被写体がカメラに気づいていないように見える外観を意図的に保持する。最後に著者は、木村の真面目さと、露骨に楽観的なイメージを避ける姿勢は、戦時中の経歴によって条件づけられていたと論じる。過度に明るい戦後イメージは、帝国プロパガンダにおける演出された幸福を想起させる危険があったためである。
- 方法論:
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本研究は、木村の1950年代写真を対象に、歴史的文脈に位置づけた精読(close reading)を行う。主要な対象として1954年の写真集『傑作写真集(*Kessaku shashinshū*)』を用いるのは、著者が写真集を、個々の写真だけでなく、選択と並置を通じて意味を生成するメディアとして捉えているからである。したがって本論文は、収録内容(例:人体への支配的な注目、ヌード/ストリップショー画像の周縁的存在、無名の街頭被写体の顕著さ)と、書物の組織が解釈をどう形づくるか(例:全体テーマの相対的欠如、画像を個別の「作品」として見ることの強調)の双方を分析する。
方法論的には、比較視覚文化分析に依拠する。木村の身体表象を、(1) 歪曲と断片化を強調した戦後日本のアヴァンギャルド絵画の潮流(具体例として鶴岡政男、河原温、山下菊二)、(2) 戦後大衆映画における分岐した女性類型(「banpu」「panpan」、および伝統と結びつく貞淑なヒロイン)、(3) 「ヒューマニスト」と呼ばれた同時代フランス写真、とくにドアノー(Doisneau)と対比させる。ここには、日本の雑誌再録が彼らのパリのイメージを並置したことで生じた接点も含まれる。著者はまた、写真文化に埋め込まれた言説・受容資料—桑原甲子雄(Kineo Kuwabara)などの発言、木村自身の回想、演出や雑誌文脈に関する批評的言及—を用い、イメージのスタイルを職業上のポジショニング、および木村の戦時・戦後における評判管理と結びつける。全体を通じて本論文は、一見「ありふれた(banal)」写真を中立ではなく含意的(connotative)なものとして扱い、この立場を、写真の意味は含意から完全には逃れられないというロラン・バルト(Roland Barthes)のより広い主張と整合させる。
- 結論と意義:
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本論文は、『傑作写真集』によって正典化された木村の1950年代作品が、日常生活の「共感的な傍観者—写真家(onlooker-photographer)」としての彼を構築する一方で、戦時プロパガンダへの相当な関与に関する公的記憶を隠蔽または緩和した、と結論づける。これは単純な消去として提示されるのではない(戦時写真が完全に排除されたわけではない)ものの、率直な観察、感情表現の抑制、政治的テーマを容易に示さない身体の強調によって達成された再枠づけ(reframing)である。より広い戦後視覚領域との関係で著者は、木村の表象—とりわけ女性に関して—が「本質的に保守的(essentially conservative)」であり、傷ついた、グロテスクな、あるいは露骨に性的な身体への戦後的執着を大きく回避し、日本人の生活に現れた戦争の可視的影響を前景化することも稀であったと論じる。
意義は、写真が中間的な文化的地位にあることで、戦後イメージにおける相反する傾向の媒介が可能になったことを示す点にある。すなわち写真は、親しみのある「癒し(healing)」の連続性を求める大衆の欲望に共鳴しうる一方で、何を写さないかという選択を通じてイデオロギー的営為にも関与しえた。さらに、木村をフランスのヒューマニスト写真と比較することで、木村のアプローチの固有性がいっそう明確になる。ポーズのないように見えるイメージへの嗜好、戦時体験によって条件づけられた演出された楽観主義への不信、そして専門的な趣味人向け雑誌という出版環境が、非政治的に見えながら歴史的荷重を持つ写真スタイルの形成に寄与したというのである。
- 今後の展望:
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本論文の最終議論は、明確な研究課題を提案するというより、後の展開や未解決の緊張関係を指摘することで、いくつかの前向きな方向性を示唆している。木村の欧州旅行(1955年および翌年に写真集が出版)以後、彼の名声は、同時代人や若手写真家の作品によって次第に凌駕されたとされる。そうした写真家たちは、傷つき、歪み、汚れた身体のイメージなどを通じて、同時代の問題により直接的に向き合った(例:濱谷浩、土門拳、奈良原一高、川田喜久治、東松照明)。この流れは、木村の1950年代の保守性を、写真界が社会的にも身体的にもより苛烈なイメージへ移行するにつれて、歴史的に限定された美学としていっそう目立つものに位置づける。
また本論文は、アマチュア写真家の間における木村の影響の持続的な「来歴(afterlife)」にも言及する。木村の魅力は、日常環境こそ注意を向け記録するに値するという安心感のある命題にある。しかし著者は、この遺産には「リスク」があるとも強調する。それは、アマチュアがより大きな社会問題や、日常観察を超えた広範な芸術的問いから遠ざかる方向へ導かれうるからである。結果として示される今後の展望は、木村自身の後年の作品というより、日本の視覚文化において、日常写真というモデルが写真実践をいかに形づくり続けているか—日本における趣味としての写真が持つ可能性と限界の双方を体現しつつ—に関わるものである。
- 背景と目的:
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この論文は、写真家の木村伊兵衛が日本では長い間とても有名で影響力も大きいのに、海外ではあまり語られてこなかったという不思議な状況に注目します。とくに、木村が日本の写真界で地位を固めた1950年代の写真を取り上げ、そこで写された人の体が、戦後日本のさまざまな「見せ方」とどう関わっていたのかを考えます。
当時は、戦争の傷や社会の荒れた現実を暗く描く作品がある一方で、映画や雑誌などの大衆向けメディアは、きれいに見せたイメージで現実から目をそらせるようにしていました。写真は「芸術」と「大衆文化」の中間にあるため、いかにも普通に見える写真でも、体の写し方によって考え方や価値観が伝わることがあります。
論文の中心となる主張は、木村の戦後作品、特に1954年の写真集で形づくられたイメージは、同時代の絵画のゆがんだ体や、映画の性的に強調された体とは違い、女性の体を保守的に描いている、という点です。
- 主要な発見:
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大きな発見の一つは、1954年の写真集が、ただの作品まとめではなく、「木村伊兵衛とはどういう写真家か」を決める役割を持っていたことです。この写真集には1930年代からの写真132点が選ばれ、人が写った写真が多い一方で、はっきりしたテーマで強くまとめる構成ではありません。そのため見る人は、一枚一枚を独立した作品として見るようになります。
木村はカルティエブレッソンを尊敬し、似た形式の写真集を作りましたが、木村の写真は感情表現が強すぎず、笑っているとも泣いているとも言い切れない曖昧な表情が多いと論じられます。これは、木村が戦時中に宣伝写真の制作に深く関わり、子どもの笑顔や兵士のたくましさなど「作られた明るさ」に頼った写真を撮っていた過去と関係します。だから著者は、戦後の木村を「政治と無関係で中立な写真家」として単純には扱えないと言います。露骨な宣伝でなくても、写真は戦後社会の価値観を伝えうるからです。
また当時は、前衛的な絵画が傷ついた体や異様な体を描く一方で、大衆メディアでは性的に強調された女性像と、伝統的で慎ましい女性像が並び立っていました。これと比べると木村の写真はかなり保守的です。ヌードや強い性的表現は中心ではなく、ストリップの写真もありますが、女性の裸の美しさを追うというより「当時の出来事の記録」に近い扱いです。
一方で秋田などの農村女性は、布で顔や体を覆った姿で写されることが多く、それが「慎ましさ」や「アメリカ風の派手さがない生活」を意味し、木村が距離を取って見ている写真家だという印象を強めている、と解釈されます。
さらに木村の街角スナップは、フランスの が目指したような「被写体と見る人がどこか協力している感じ」とは違い、被写体がカメラに気づいていないように見える構図をわざと残すことがある、と論文は述べます。木村が過度に明るい写真を避けたのも、戦時中の宣伝写真を思い出させる危険があったためだとされます。ヒューマニスト写真 ( 戦後フランスで広まった、普通の人々の日常や人間らしさを温かく写し、社会の立て直しにもつながるとされた写真の流れです。木村写真との違いを考える比較対象として重要です。)
- 方法論:
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研究の進め方は、1950年代の木村の写真を、当時の歴史や社会状況と結びつけて丁寧に読み取ることです。中心資料として1954年の写真集を使うのは、写真集が「一枚の写真」だけでなく、「どの写真を選び、どう並べるか」で意味を作るメディアだと考えるからです。
そのうえで、写真集の中身(人の体への注目、ヌードが少ないこと、名もない街の人が多いことなど)と、写真集の作り(強い全体テーマがないこと、一枚ずつ作品として見せることなど)の両方が、どう解釈を形づくるかを分析します。
さらに比較の方法として、木村の体の写し方を、戦後の前衛絵画、戦後映画の女性像、同時代フランス写真と比べます。また、当時の写真界の発言や木村自身の文章、雑誌での扱われ方なども使い、写真のスタイルが写真家としての立場づくりや評判とどう関係するかを検討します。
- 結論と意義:
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結論として、この写真集によって広まった1950年代の木村作品は、木村を「日常を共感的に見守る写真家」として見せる一方で、戦時中の宣伝写真に深く関わった記憶を目立ちにくくした、と論じます。ただし戦時写真を完全に消したわけではなく、感情表現を抑え、政治的な意味がすぐ見えない体の写真を中心にすることで、見え方を組み替えたということです。
また戦後の 全体と比べると、木村の女性表現は基本的に保守的で、傷ついた体や異様な体、露骨に性的な体への関心を大きく避け、戦争の影響をはっきり見せる写真も多くありません。視覚文化 ( 社会の中で人々が日常的に見ている画像や映像の世界のことです。写真や映画、雑誌、絵画などが含まれます。どんな体や生活が「普通」や「理想」とされるかに関わるため重要です。)
この研究の意義は、写真が「芸術」と「大衆」の間にあるからこそ、戦後の相反する流れをつなぐ力を持っていた点を示すことです。写真は人々の「日常に戻りたい」という気持ちに寄り添える一方で、「何を写さないか」という選び方によって、特定の考え方を支えることもありえます。さらにフランス写真との比較で、木村の「演出っぽさを避ける」姿勢や、戦時体験の影響、趣味人向け雑誌という発表の場が、政治色が薄く見えても重い背景を持つ写真スタイルを作ったことがはっきりします。
- 今後の展望:
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論文は、今後の研究課題を一つに絞って提示するというより、次に考えるべき点を示します。木村の欧州旅行後、写真界では、戦後社会の問題にもっと正面から向き合い、傷ついた体や汚れた体などを強く出す写真家たちが目立つようになり、木村の1950年代の保守的な作風は、時代の中で限られた美学としていっそう見えやすくなったとされます。
また木村の影響はアマチュア写真家の世界で長く続き、「日常を撮ることに価値がある」という安心感を与えました。しかしその一方で、日常の観察だけにとどまり、大きな社会問題やより広い表現の問いから遠ざかってしまう危険もあると指摘します。今後は、木村個人の後年作品というより、日本の の中で「日常写真」という考え方が、写真のあり方をどう作り続けているかを考えることが重要だと示されます。視覚文化 ( 社会の中で人々が日常的に見ている画像や映像の世界のことです。写真や映画、雑誌、絵画などが含まれます。どんな体や生活が「普通」や「理想」とされるかに関わるため重要です。)
- 何のために?:
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この文は、木村伊兵衛さんの写真を考えます。
日本では、とても有名な です。写真家 ( 写真を仕事としてとりつづける人のことです。写真をとって発表し、社会に伝 える役わりもあります。この文では木村伊兵衛さんがどんな写真をとった人か考えるために大事です)
でも、外国ではあまり知られていません。
それが、ふしぎだと考えます。
とくに の写真を見ます。1950年代 ( 1950年から1959年までの時代のことです。その時代の社会や人の考え方で、写真の写り方や見せ方が変 わるため重要 です)
写った人の体の見せ方に注目します。
の日本で、体がどう見られたか考えます。戦後 ( 戦争 が終わったあと、という意味です。この文では日本で体や女性 の見られ方がどう変 わったかを考える土台になります)
そのころ、暗い現実 を写す もありました。作品 ( つくったものの中でも、見せるためにまとめられたものです。写真では一枚の写真や写真のシリーズのことを言います。何を見せたいかが入るので重要 です)
でも映画 や雑誌 は、きれいに見せました。
写真は、 と芸術 ( きれいさや考えを表すための表現 のことです。写真がただの記録 ではなく、考えを伝 えるものだと理解 するために大事です) のまん中です。人気文化 ( 多くの人が楽しむ文化で、映画 や雑誌 などがふくまれます。写真が芸術 だけでなく人気文化にも近い場所にある、という話を理解 するために必要 です)
だから、体の写し方で考えが伝 わります。
この文は、女性 の写し方を大事にします。
木村さんは、女性 をおとなしめに写した、
そう言いたいのです。
- 何が分かったの?:
-
大事な発見は、1954年の
です。写真集 ( 写真を本の形にまとめたものです。写真のえらび方やならべ方で意味が変 わるので、この文の中心の資料 として重要 です)
ただのまとめではない、と言います。
「木村さんはどんな か」を決めました。写真家 ( 写真を仕事としてとりつづける人のことです。写真をとって発表し、社会に伝 える役わりもあります。この文では木村伊兵衛さんがどんな写真をとった人か考えるために大事です)
1930年代からの写真が132枚 入っています。
人が写った写真が、たくさんあります。
でも強い で、まとめていません。テーマ ( 作品全体をまとめる中心の考えや話題です。テーマが強いか弱いかで、写真集の見え方が変 わるため大事です)
だから、1枚 ずつ見ることになります。
木村さんは、海外の写真家を尊敬 しました。
同じような形の写真集も作りました。
木村さんの写真は、気持ちを出しすぎません。
笑 いとも、泣 きとも言えない顔が多いです。
それは、戦争 中の仕事と関係 があります。
戦争 中、 のための写真も作りました。宣伝 ( 人に知らせて、そう思わせたり買わせたりするために広めることです。戦争 中の写真がどんな目的 で作られたかを考えるために重要 です)
子どもの笑顔 など、作った明るさもありました。
だから、完全 に とは言いにくいです。中立 ( どちらの考えにもかたよらないことです。写真が本当に中立か、何かの考えを広めていないかを考える点で重要 です)
写真は、考え方をそっと広めることもあります。
当時、絵では、変 わった体も描 かれました。
映画 や雑誌 では、強い色気の女性 もいました。
また、昔ながらの慎 ましい女性 もいました。
それと比 べると、木村さんは です。保守的 ( 昔からのやり方や考えを守ろうとすることです。木村さんの女性 の写し方がどれくらい変 わらないのかを説明 する言葉です)
はだかの写真は、中心ではありません。
の写真も、少しあります。ストリップ ( 人が服をぬいで見せる見せもののことです。写真に出てくる体の見せ方が、どんな種類 のものか理解 するために必要 です)
でも、美しさより、出来事の に近いです。記録 ( 起きた出来事をそのまま残 すことです。写真が美しさのためか、出来事を残 すためかを考えるために重要 です)
の農村 ( 町ではなく、田畑が多い地域 のことです。写っている人の生活や服そうが、体の見せ方にどうつながるか考えるために必要 です) 女性 は、布 で顔や体をかくすことも。
それが、慎 ましさを表すと見られます。
そして木村さんが、少し遠くから見る感じです。
街角 の写真では、気づかれていない形もあります。
わざと、そのままにすることがあるそうです。
明るすぎる写真を、さけたとも言います。
戦争 中の宣伝 を、思い出させるからです。
- どうやったの?:
-
やり方は、写真をていねいに読み取ります。
その時代の歴史 や社会とも、つなげます。
中心は、1954年の です。写真集 ( 写真を本の形にまとめたものです。写真のえらび方やならべ方で意味が変 わるので、この文の中心の資料 として重要 です)
写真集は、並 べ方でも意味が作れます。
どの写真をえらぶかも、大事です。
人の体への注目を見ます。
ヌードが少ないことも見ます。
名もない街 の人が多いことも見ます。
また、作り方も見ます。
強い がないことを見ます。テーマ ( 作品全体をまとめる中心の考えや話題です。テーマが強いか弱いかで、写真集の見え方が変 わるため大事です)
1枚 ずつ見せる工夫 も見ます。
そして、ほかの表現 と比 べます。
の絵や、戦後 ( 戦争 が終わったあと、という意味です。この文では日本で体や女性 の見られ方がどう変 わったかを考える土台になります) 映画 の と女性 像 ( その時代に「女性 はこういうもの」とされやすい見え方やイメージのことです。映画 や絵と比 べて写真の女性 の写し方を考える中心になります) 比 べます。
フランスの写真とも比 べます。
雑誌 の記事や、本人の文も使います。
写真の形が、評判 とどうつながるか考えます。
- 研究のまとめ:
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この
で、木村さんの見え方が広まりました。写真集 ( 写真を本の形にまとめたものです。写真のえらび方やならべ方で意味が変 わるので、この文の中心の資料 として重要 です)
「日常 をやさしく見守る 」に見えます。写真家 ( 写真を仕事としてとりつづける人のことです。写真をとって発表し、社会に伝 える役わりもあります。この文では木村伊兵衛さんがどんな写真をとった人か考えるために大事です)
でも、戦争 中の仕事は見えにくくなりました。
ただし、消えたわけではありません。
気持ちをおさえた体の写真を中心にしました。
だから、見え方を組みかえたと言えます。
また、女性 の表し方は、基本的 に です。保守的 ( 昔からのやり方や考えを守ろうとすることです。木村さんの女性 の写し方がどれくらい変 わらないのかを説明 する言葉です)
大けがの体や、変 わった体はあまり出ません。
強い色気の体も、あまりねらいません。
戦争 のえいきょうを強く見せる写真も少なめです。
この研究で大事なのは、写真の立ち位置 です。
写真は、 と人気の間にあります。芸術 ( きれいさや考えを表すための表現 のことです。写真がただの記録 ではなく、考えを伝 えるものだと理解 するために大事です)
だから、ちがう考えをつなげる力があります。
人は「ふつうの毎日にもどりたい」と思います。
写真は、その気もちによりそえます。
でも「写さないもの」をえらぶこともあります。
それが、ある考えを支 えることもあります。
フランス写真と比 べて、違 いも分かります。
木村さんは、わざとらしい をさけました。演出 ( 見せたいようにわざと作って見せることです。自然 に見せるのか作って見せるのかで、写真の意味が変 わるため重要 です)
戦争 の体験 も、影 のように残 ります。
発表した雑誌 の性格 も、えいきょうしました。
- これからどうする?:
-
この文は、次に考える点を
示 します。
木村さんが海外に行った後、流れが変 わります。
社会の問題を正面から写す人が増 えました。
けがやよごれた体を強く出す写真も増 えました。
すると、木村さんの は目立って見えます。作風 ( その人らしい作品の作り方のくせや特徴 です。木村さんの写真が他の人とどうちがうかをまとめて考えるために必要 です)
それは、限 られた美しさだと言えます。
木村さんのえいきょうは、長く続 きました。
ふつうの毎日を撮 るのは大事だと広まりました。
それは、安心する考え方にもなりました。
でも、危 ない面もあります。
毎日を見るだけで、止まるかもしれません。
大きな社会の問題から遠ざかることもあります。
これからは、考え方そのものを見ます。
「 」が文化でどう日常 写真( 特別 な出来事ではなく、ふつうの毎日を写す写真のことです。この文の最後 で、文化としてどう続 いたかを考える中心の言葉です) 続 くか考えます。
- 著者名:
- Kai Yoshiaki
- 掲載誌名:
- 人文科学研究
- 巻:
- 156
- ページ:
- Y19 - Y39
- 発行日:
- 2025-03
- 新潟大学学術リポジトリリンク:
- http://hdl.handle.net/10191/0002001659
