論文詳細
人文学部
#紀要論文
北朝の内侍所御神楽 : 後光厳朝を中心に
- AI解説:
- 観応二年(1351年)12月、足利尊氏が南朝に降伏し、三種の神器を引き渡したことで北朝は一時消滅した。これに伴い、北朝の儀礼も廃止されたが、北朝再興後も内侍所御神楽が続けられた。本稿では、南北朝の内侍所御神楽の変遷を通して、北朝の公家と武家がどのように関与し、儀礼がどのように継続されたのかを考察することを目的とする。
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人文学部
#紀要論文
北朝の内侍所御神楽 : 後光厳朝を中心に
AI解説
- 背景と目的:
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観応二年(1351年)12月、足利尊氏が南朝に降伏し、三種の神器を引き渡したことで北朝は一時消滅した。これに伴い、北朝の儀礼も廃止されたが、北朝再興後も内侍所御神楽が続けられた。本稿では、南北朝の内侍所御神楽の変遷を通して、北朝の公家と武家がどのように関与し、儀礼がどのように継続されたのかを考察することを目的とする。
- 主要な発見:
-
北朝は三種の神器を手放したにもかかわらず、内侍所御神楽を続けるために辛櫃を神鏡の代用にするなど、さまざまな工夫を凝らして儀礼を継続させた。後光厳期には、公家の出席意欲が低下し、経済的基盤も脆弱であったが、それでも内侍所御神楽は中断されることなく続けられた。さらに、後光厳天皇の時代には神鏡がない状態でも儀礼を行い続け、旧例に従う意識が強かったことが明らかになった。
- 方法論:
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本研究では、一次資料として『園太暦』や『敦有卿記』、その他の史料を用いた。また、過去の研究や先行文献を参考にし、南北朝時代の内侍所御神楽に関する詳細な年表を作成し、それに基づいて儀礼の変遷や公家と武家の関与を分析した。文献学的アプローチを用いて、内侍所御神楽の実態とその背景を探る方法を取った。
- 結論と意義:
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北朝の内侍所御神楽は、三種の神器を欠いた状況下でも継続された。これには、公家と武家の協力があったことが大きい。特に、経済的に困窮していた北朝においては、武家の支援が重要な役割を果たした。また、神鏡がない状態でも辛櫃を神鏡の代用とし、儀礼を継続する工夫がなされたことは、北朝の公家たちの強い意欲と関心を示すものである。これにより、北朝の儀礼がどのように維持されてきたかを具体的に理解することができる。
- 今後の展望:
-
今後の研究では、北朝の内侍所御神楽に関する更なる詳細な分析が必要である。特に、武家と公家の負担割合や具体的な経済的支援の仕組み、さらには南北朝合一後の内侍所御神楽の変遷についても調査する必要がある。また、各地で行われた同様の儀礼との比較研究を通じて、南北朝時代の文化的な交流や影響を明らかにすることが期待される。これにより、内侍所御神楽の歴史的意義やその継続の背景をより深く理解することができるだろう。
- 背景と目的:
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観応2年(1351年)12月、足利尊氏が南朝に降伏し、
(天皇の象徴となる三つの宝物)を引き渡したため、北朝は一時的に消滅しました。しかし、その後北朝が再興された際でも、三種の神器 ( 天皇の象徴として重要な三つの宝物(剣、鏡、玉)のことです。天皇の正当性を示すものとされています。) という儀式は続けられました。この研究では、南北朝時代の内侍所御神楽の変遷を通して、北朝の貴族と武士がどのように関わり、儀式がどのように続けられたのかを考察することを目的としています。内侍所御神楽 ( 特別な儀式のことです。神様に捧げる舞や音楽などが行われます。)
- 主要な発見:
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北朝は
がなくても、儀式を続けるために三種の神器 ( 天皇の象徴として重要な三つの宝物(剣、鏡、玉)のことです。天皇の正当性を示すものとされています。) (宝物を入れる箱)を神鏡(神器の一つ)の代わりに使うなどの工夫をしました。後光厳天皇の時代には、貴族の参加意欲が低下し、経済的にも困難な状況でしたが、それでも辛櫃 ( 宝物や重要な物を入れるための箱のことです。この研究では、神鏡の代わりとして使われました。) は中断されずに続けられました。また、神鏡がない状態でも儀式を行い、旧例に従う意識が強かったことがわかりました。内侍所御神楽 ( 特別な儀式のことです。神様に捧げる舞や音楽などが行われます。)
- 方法論:
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本研究では、『園太暦』や『敦有卿記』などの一次資料を使用し、過去の研究や先行文献も参考にしました。そして、南北朝時代の
に関する詳細な年表を作成し、儀式の変遷や貴族と武士の関与を分析しました。文献学的アプローチを用いて、内侍所御神楽の実態とその背景を探りました。内侍所御神楽 ( 特別な儀式のことです。神様に捧げる舞や音楽などが行われます。)
- 結論と意義:
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北朝の
は、内侍所御神楽 ( 特別な儀式のことです。神様に捧げる舞や音楽などが行われます。) がない状況でも続けられました。これには貴族と武士の協力が大きな役割を果たしました。特に、経済的に困窮していた北朝では、武士の支援が重要でした。また、三種の神器 ( 天皇の象徴として重要な三つの宝物(剣、鏡、玉)のことです。天皇の正当性を示すものとされています。) を神鏡の代わりに使う工夫がなされたことは、北朝の貴族たちの強い意欲と関心を示しています。この研究により、北朝の儀式がどのように維持されてきたかを具体的に理解することができます。辛櫃 ( 宝物や重要な物を入れるための箱のことです。この研究では、神鏡の代わりとして使われました。)
- 今後の展望:
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今後の研究では、北朝の
についてさらに詳細な分析が必要です。特に、武士と貴族の費用負担の割合や具体的な経済支援の仕組み、さらには南北朝合一後の変遷についても調査が求められます。また、他の地域で行われた類似の儀式との比較研究を通じて、南北朝時代の文化的な交流や影響を明らかにすることが期待されます。これにより、内侍所御神楽の歴史的な意義やその継続の背景をより深く理解することができるでしょう。内侍所御神楽 ( 特別な儀式のことです。神様に捧げる舞や音楽などが行われます。)
- 何のために?:
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1351年12月、足利尊氏(あしかが たかうじ)さんが南朝(なんちょう)に負けました。
天皇 の大切な宝物 を渡 したので、北朝(ほくちょう)は一度なくなりました。でも、その後北朝は戻 ってきました。この研究では、南北朝(なんぼくちょう)時代に行われた儀式 について調べました。儀式 がどうやって続 けられたかを見ていきます。
- 何が分かったの?:
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北朝は
宝物 がなくても、特別 な箱を使って儀式 を続 けました。後光厳天皇 (ごこうごんてんのう)の時代には、貴族 (きぞく)があまり参加 せず、お金も足りませんでした。それでも儀式 は止まりませんでした。神鏡 (しんきょう)がなくても、昔からのやり方で儀式 を続 けようとする意識 が強かったです。
- どうやったの?:
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この研究では、昔の日記や
記録 を使いました。例 えば、『園太暦 』(えんたいりゃく)や『敦有卿 記』(あつありきょうき)という本です。また、南北朝時代の儀式 について詳 しい年表を作り、貴族 や武士 (ぶし)がどう関 わっていたかを調べました。
- 研究のまとめ:
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北朝の
儀式 は、重要 な宝物 がなくても続 けられました。貴族 と武士 の協力 が大きな役割 を果 たしました。特 に、経済的 に困 っていた北朝では、武士 の助けが必要 でした。特別 な箱を使う工夫 が、北朝の貴族 たちの強い意欲 を示 しています。この研究を通して、北朝の儀式 がどう続 けられたかを具体的 に理解 できます。
- これからどうする?:
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今後の研究では、北朝の
儀式 についてもっと詳 しく調べる必要 があります。特 に、貴族 と武士 がどれだけお金を出していたかや、南北朝が一つになった後の変化 を調査 します。また、他の地域 で行われた似 たような儀式 とも比 べて、文化の交流や影響 を明らかにすることが期待されます。これにより、儀式 の歴史的 な意義 や背景 をより深く理解 することができるでしょう。
- 著者名:
- 中本 真人
- 掲載誌名:
- 人文科学研究
- 巻:
- 143
- ページ:
- T1 - T18
- 発行日:
- 2018-11
- 新潟大学学術リポジトリリンク:
- http://hdl.handle.net/10191/50734
