論文詳細
大学院現代社会文化研究科
#紀要論文
小学校道徳における死生観構築に関する批判的検討 : 教育内容から考える
- AI解説:
- 本稿は小学校における道徳教育での死生観構築がどのように行われているかを教育内容から明らかにすることを目的としています。具体的には、小学校で広く使用されている補助教材『心のノート』とその改訂版『私たちの道徳』を対象に、その内容を分析し、道徳教育がどのようにして児童生徒に生と死についての考え方を形成しているのかを探ります。『心のノート』は2002年度から文部科学省が配布し、小学校の道徳の時間において90.6%の活用が報告されています。改訂版の『私たちの道徳』も同様に2014年度から配布され、99.5%の高い活用率を示しています。この2つの教材を通じて、道徳教育の充実を図る上で死生観構築がどの程度重要視されているかを明らかにします。
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大学院現代社会文化研究科
#紀要論文
小学校道徳における死生観構築に関する批判的検討 : 教育内容から考える
AI解説
- 背景と目的:
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本稿は小学校における道徳教育での死生観構築がどのように行われているかを教育内容から明らかにすることを目的としています。具体的には、小学校で広く使用されている補助教材『心のノート』とその改訂版『私たちの道徳』を対象に、その内容を分析し、道徳教育がどのようにして児童生徒に生と死についての考え方を形成しているのかを探ります。『心のノート』は2002年度から文部科学省が配布し、小学校の道徳の時間において90.6%の活用が報告されています。改訂版の『私たちの道徳』も同様に2014年度から配布され、99.5%の高い活用率を示しています。この2つの教材を通じて、道徳教育の充実を図る上で死生観構築がどの程度重要視されているかを明らかにします。
- 主要な発見:
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『心のノート』と『私たちの道徳』における道徳教育の内容分析から、両教材に共通する特徴が見られました。特に、自分自身の「生」が他者や自然によって「生かされている」という位置づけが強調されています。これにより、児童生徒に対して「自分自身の生」というものが個人の権利として認識されず、むしろ他者や自然に依存する存在として伝えられています。また、これらの教材では「生」や「死」を考える時間が比較的少なく、死生観構築が十分に促されていない可能性が示唆されました。さらに、自分自身の「生」を自己決定する主権が児童生徒個人にあるという視点が欠如しており、全体主義的思想が強制されている点も明らかになりました。
- 方法論:
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本研究は、『心のノート』および『私たちの道徳』の教材内容を分析することで、小学校における道徳教育の死生観構築の実態を解明しようとしました。具体的には、学習指導要領で定義された4つの内容項目の中から、「主として自然や崇高なものとのかかわりに関する内容」に該当する部分を抽出し、そのページ数の配分および取り扱われている内容を詳細に分析しました。また、各学年ごとに該当部分の内容を3つの観点(自分自身、自然、美しいもの)に分類し、それぞれの取り扱い内容や表現の特徴を明らかにしました。これにより、道徳教育における死生観の位置づけとその教育的意義を評価しました。
- 結論と意義:
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『心のノート』および『私たちの道徳』における「主として自然や崇高なものとのかかわりに関する内容」は、他の内容項目と比較してページ数が少なく、道徳教育において死生観構築が十分に促されていないことが明らかになりました。また、教材内容からは自分自身の「生」が他者や自然によって「生かされている」と強調され、自分自身で「生」を決定する主権が児童生徒個人にあるという視点が欠如している点が問題視されました。このことは、道徳教育が個人の尊重を基礎とする民主主義社会の形成に寄与するのではなく、全体主義的思想を強制する可能性があることを示しています。このため、自己決定権を正しく理解し、主体性と能動性を育む教育内容への見直しが求められます。
- 今後の展望:
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今後の課題として、道徳性や民主主義社会に対する正しい理解を促すことが重要です。道徳教育が国家及び社会形成を目的とするのではなく、個の尊重を主軸としたものであると改めて理解し、その上で道徳教育を実施する必要があります。また、教育内容において自分自身の「生」を決定する主権が児童生徒個人にあると位置づけ、その内容について検討する必要があります。さらに、死生観構築をより促進するために、「生」や「死」に関する教育内容の充実と時間の確保が求められます。これにより、児童生徒が自己決定権を理解し、主体的かつ能動的に生きる力を育むことが期待されます。
- 背景と目的:
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この研究は、小学校で行われる
を通じて、子どもたちが「生」と「死」についてどのように考えるようになるのかを明らかにすることを目的としています。具体的には、小学校で使われる『心のノート』と『私たちの道徳』という2つの教材を分析し、これらの教材が子どもたちにどのように「生」と「死」についての考えを伝えているのかを探ります。道徳教育 ( 人として正しい行いを教える教育のことです。)
- 主要な発見:
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分析の結果、両教材に共通する特徴が見つかりました。それは、子どもたちに「自分の命は他の人や自然によって生かされている」という考えを強調している点です。しかし、「生」や「死」について深く考える時間が少なく、子どもたちが自分の命について自分で決定することの重要性が十分に教えられていないこともわかりました。また、
的な考え方が強調される傾向が見られました。全体主義 ( 個人よりも社会全体の利益を優先する考え方です。)
- 方法論:
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この研究では、『心のノート』と『私たちの道徳』の内容を詳細に分析しました。具体的には、
のカリキュラムで定義されている4つの内容項目の中から、「自然や崇高なものとのかかわりに関する内容」を中心に分析しました。そして、各学年ごとに内容を「自分自身」「自然」「美しいもの」の3つの観点に分けて調査しました。道徳教育 ( 人として正しい行いを教える教育のことです。)
- 結論と意義:
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『心のノート』と『私たちの道徳』では、「自然や崇高なものとのかかわりに関する内容」のページ数が他の内容項目と比べて少なく、子どもたちが「生」と「死」について考える時間が十分に取られていないことがわかりました。また、自分の命が他者や自然によって生かされていることが強調され、自分自身で命を決めることの大切さが教えられていない点が問題です。これは、
社会の形成に貢献するというよりも、民主主義 ( 皆が平等に意見を言える社会の仕組みのことです。) 的な考え方を強制する可能性があります。このため、自分の命について正しい理解を促し、主体性と自分で考える力を育む教育内容への見直しが必要です。全体主義 ( 個人よりも社会全体の利益を優先する考え方です。)
- 今後の展望:
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今後の課題として、道徳性や
社会についての正しい理解を促すことが重要です。民主主義 ( 皆が平等に意見を言える社会の仕組みのことです。) が国や社会のためだけでなく、個人の尊重を基盤としたものであると理解し、その上で道徳教育を進める必要があります。また、教育内容において自分自身の命を決定する主権が子どもたちにあることを明確にし、それをサポートする内容を充実させることが求められます。そうすることで、子どもたちが自分で考え、行動できる力を育むことが期待されます。道徳教育 ( 人として正しい行いを教える教育のことです。)
- 何のために?:
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この研究は、小学校の
道徳 の授業 で「いのち」や「し」をどう考えるかを調べることです。『心のノート』と『私 たちの道徳 』という本を使って、子どもたちにどんなふうに教えているかを見ます。
- 何が分かったの?:
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この本では、「自分のいのちは他の人や
自然 に支 えられている」と教えています。でも、「いのち」や「し」についてじっくり考える時間が少ないことがわかりました。また、みんなで同じ考えを持つように教えられることが多いです。
- どうやったの?:
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この研究では、『心のノート』と『
私 たちの道徳 』の内容 を詳 しく見ました。特 に「自然 とのかかわり」について調べました。学年ごとに「自分」「自然 」「美しいもの」の3つの視点 で分けて調査 しました。
- 研究のまとめ:
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『心のノート』と『
私 たちの道徳 』では、「自然 とのかかわり」についてのページが少ないです。そのため、「いのち」や「し」について考える時間が足りません。また、自分のいのちを自分で決めることの大切さが教えられていないことが問題です。これでは、みんなが同じ考えになる危険 があります。だから、自分のいのちについて正しく考え、しっかり決められるように教えることが大切です。
- これからどうする?:
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これからは、みんなが正しく「
道徳 」や「民主主義 」を理解 することが大事です。道徳 の授業 は、国や社会のためだけでなく、自分を大切にすることを教えるべきです。また、自分のいのちを自分で決めることができるように教えることが求 められます。そうすることで、子どもたちは自分で考え、行動できるようになるでしょう。
- 著者名:
- 山本 詩織
- 掲載誌名:
- 現代社会文化研究
- 巻:
- 66
- ページ:
- 137 - 154
- 発行日:
- 2018-03
- 著者による要約:
- kokoro no no-to and watashitachi no doutoku are the teaching aid that are used widely. These have been taken up and considered to make it clear from education contents about how to view the construction of views of life and death at moral education in an elementary school. Then kokoro no no-to and watashitachi no doutoku can confirm two features about the handling of life. It is said that there are few pages that cover these items in those books. This shows little of the percentage by which the item about the construction of views of life and death is treated in moral education. Next it is said that the life is placed with the utilized life. It is not possible to place the life as a personal right from the angle as the human rights, and this is the situation that it is not possible to suggest the right understanding of own one’s right to decide. It is urgently needed to reform this situation in which the nation uses government authority to strip children of their subjectivity and activeness.
- 新潟大学学術リポジトリリンク:
- http://hdl.handle.net/10191/50116
